ずーっと自由
3月24日(土)
イースターが近づいて、スーパーにも可愛いチョコレートが
並んでいる。普通はウサギのチョコレート。
こちらはニュージーランドバージョン、キウイのチョコレート。
仕事を辞めて、予定を立てずに旅をしていますと話すと
いろんな人から「いいねぇ」と言われる。
自由な暮らしをしているようなイメージなんだと思う。
私もそう思っていた。
でも、実際に自分がいろんなことを手放して、こうやって
気が向くままの旅をしていて思うのは、これって、まぁ、固定している
住居がなくて、現在無職っていうだけで、あとは
八王子でケアマネージャーをやっていたときと変わらないなぁと。
つまり、「みんなずっと自由なんだよねぇ。。実は」という話。
仕事を辞めないと、自由になれないと思っていたのは、私の思い込みで
あのときも「じゅうぶん毎日が自由だったなぁ」と。
もちろん、平日は毎日決まった時間に仕事に行って、仕事を休むときは
周りの人たちと調整しながら休んだりして、とある程度の制約はある。
毎日世話をするペットがいたり、毎月家賃や電気代を払ったり、やらないと
いけないことがいくつかある。
その、自分が抱えているいくつかのことが、自分を縛っているのだとしたら
それは「自分は自由じゃない、という思い込みだなぁ」と思うようになった。
物理的に「好きなところへいつでも行けて、好きなことができる」のが
「自由」というわけではない。
「自由」というのは、そういう物理的なことじゃなくて、
「いかに気持ちが縛られていないか」ということなんじゃないかと。。。
だから、自分がこの旅を終えて、日本に帰って、生活するために何か仕事を
始めたとしても、それは私の「自由な日々」が終わるわけではないなぁと
思うようになった。
私たちはずーっと自由。
介護の仕事をしているときに、「あれができなくなった。。。これが
できなくなった。。。」と年齢を重ねることで自由がきかなくなった体を、
環境を、悲しんで、落ち込んでしまう方々をたくさん見てきた。
実際に「そうだよなぁ、去年は自分で外出して自由に買い物できていた人が
できなくなったわけで。きっと辛いよなぁ。。。」と思っていた。
でも一方で、車椅子や歩行器に頼る生活になっても、それを受け入れて
淡々と日々の生活を続け、「仕方ないわよねぇ。。」と言いながら、
今の自分ができることの範囲で、楽しみを見つけている方も見てきた。
一日のほとんどをベッドの上で過ごしていても、たくさんおしゃべりする。
笑顔。
1日かけて新聞を読んで、あんなことこんなことを思いながら、ヘルパーさん
がきたらその話をしたり、昨夜見た夢の話をしたり、話題が尽きない。
楽しそうだった。
「一人暮らしで、こんな不自由な生活になっているのに、寂しくないのかな?
虚しくならないのかな?夜一人になったときに、実はじっと耐えているのかな?」
と、本当の自由を理解してなかった私は、そういう方々の楽しそうな様子が
信じられなくて、「人前では明るく振舞ってるのかなぁ?」とまで思っていた。
だけど、いまこうやって自分でも実感してみて、
私が出会った、明るい高齢者の方々が、「本当に毎日を楽しく過ごしてらした」
んだと、わかった。
介護の仕事は奥が深い。
人生の先輩方がいろんな形でいろんなことを教えてくれる。
いま、もし自分の日々の暮らしを窮屈に感じていたり、「やりたいことができない」
もしくは「やりたいことがわからない」環境だと思っている人がいたとしたら、
私たちは、実はずーっと自由なんだ
と思いながら、毎日を暮らしてみると、
何かが変わってくるかもしれない。。。なんて思ったりしてます。
自由というのは、心の状態。
この木だって、ずっとここにいるけど、本当にキラキラして楽しそうだもんねぇ。