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わたしが旅に出るまで ④ー自分と向き合うー

↓初めての方は、よろしければこちらを先にお読み下さい↓

わたしが旅に出るまで ①ーはじめにー

わたしが旅に出るまで ②ーヒーリングに出会ったときの話ー

わたしが旅に出るまで ③ー価値観の変化ー

 

 

 

私たちが、時代を選び、国を選び、両親や兄弟を選び、育つ環境を選んで

この地球に生まれてきて、その命を生きるというのは一体なんなんだろう?

 

というようなことを疑問に思ったりしていたけれども、

 

それは、魂の向上を目指すためで、

全ての出来事には必ず意味があって、

毎日毎日の一つ一つの出来事から何を学ぶか?がとても大切で、

 

魂が向上していけば、この世で起こる物質的な悩みや心配はあまり

重要じゃなくなる。

 

だから、魂の向上を目指していこう!

 

苦しいことがあっても、それが魂の向上になるのであれば頑張ろう!

 

みたいな結論に、自分なりに至った。

 

 

そんなこんなで、全くの初心者から始めた介護の仕事。

 

 

「困っている人のために、優しい気持ちでお手伝いする」

 

 

こんなシンプルな仕事、

 

 

 

それが、全然できなかった。。。。

 

苦手な人がいる。

好きになれない人がいる。

一生懸命仕事をしているつもりなのに、クレームが出る。

 

 

悔しいやら、情けないやら、腹が立つやら。。。。

「こんなはずじゃなかった。」みたいな感情が強くわき起こる。

「私は悪くない」みたいな感情が強くわき起こる。

 

そしてヒーラーの先生に「すべては自分に問題がある」と指摘され、

とてもとても苦しい日々だった。

 

嫌いな相手に会うのは、相手のその嫌いな部分を自分が持っていて

それに反応しているから。

 

自分の中に、それがなくなれば、他人の中にあるその部分が気にならなく

なって反応しなくなる。

 

だから、自分が苦手な相手の「どういうところが嫌いなのか?」を

よく見て、「それが自分の中にある」ということを理解する、実感する

作業をしていた。

 

自分と向き合う時間。

 

あー、しんどい(笑)

 

でも、なんとなくだけど、納得がいった。

だんだん冷静になってくると見えてきた。

 

相手の嫌いなところ(モノの考え方とか、人に対する言動とか)が

よーく自分と似ていたりするのだ。

不思議と。

 

この時期は、過去に他人に向けて発した言葉や態度を思い出しては

恥ずかしかったり、申し訳なく思ったり、心がズキッと痛んだり。。。

過去を思い出しては、自分を責めるような時間も多かった。

 

そして介護の仕事の中で、自分が「よかれと思ってやっていること」

が「相手が望んでいること」と全然違っていることに気づき始めた。

 

一言で言うと「我が強い」のが原因だった。

 

「私がやりたいように、介護している」だけだったことに気づいた。

 

「我が強い自分」

このままじゃ、幸せにはなれない。

だから必死に向き合った。

「どうすれば変われるのか?」ばかりを考えていた。

 

今まで自分が持っていた自信のようなものとか、プライドとか

粉々に砕けて、「わたしなんか。。。。」みたいな気持ちの日々だった。

 

そんな精神状態の中で聞くヒーラーの先生の講義。

 

先生が、

 

「慈善事業とか、人助けとかいうのは大切な

ことだけれども、それは小善と言って、小さな役に立つことで、

もっと大きな、魂の救済というのが1番大きな『人の役に立つ』ことで

それをしていくことで魂の向上につながる」

 

という内容の講義を伝え続ける。

 

魂の救済???

 

どうすればいいんですか???

 

「どうすれば自分を変えることができるんだろう?」

「どうすれば人に優しくできるんだろう?」

「どうすれば魂の向上につながるんだろう?」

 

そんな、悩んでいる日々の中で耳にする

「本当の意味で人の役に立てば、魂の向上につながる」

という言葉は、

 

そのときのわたしにとって唯一の解決策のように聞こえた。

 

そして、そのヒーラーの先生が教えてくれた方法。

 

それが、

 

「より多くの人たちに、ヒーラーの先生と講義を知ってもらうこと」

 

だった。

 

「病気の人や人生に苦しんでいる人がいたら、先生と講義の話をして

興味があれば講義を聞きに来てもらう、あくまでも本人が望めば。」

 

だった。

 

んー。。。。

 

すごく嫌だった。

 

自分は「おもしろそうだなぁ。楽しみだなぁ。」

と思ってヒーラーの先生に会いに行ったけど、

なんだか「宗教の勧誘みたいだし」と思った。

 

それでも、それが唯一の方法であるかのような話を聞き続け、

なんとなく「そうなのかな?」

と思いながら、実際に周りの人たちに声をかけてみたら、

何人かの人たちが「行ってみたい」と講義に来てくれて、

ヒーリングを受けて、実際に体調が良くなった人もいたりして、

「これって良いことなのかもしれない」と思うようになった。

 

何よりも、ヒーラーの先生や、その周りの人たちが

(わたしが先生の講義に新しい人を連れてくることで)

「頑張っている」とか「だんだん変わってきた」とか言ってくれるのが励みになった。

 

 

 

あくまでも、「自分で望んで」介護の仕事を始めたけど、

自信を完全に失って(仕事でクレームを受ける日々)、

自己嫌悪と失望の中、苦しむ毎日。

 

この心理の中で、生まれる承認願望。

 

それを埋めてくれたのが、「講義とヒーリングを多くの人たちに紹介して

ヒーラーの先生の元に連れてくることで、先生から認められること」

だった。

 

このときのわたしは、

 

・この世は見えるものと見えないもので成り立っていること

・ヒーリングの力(病気の治癒や浄霊)

・原因と結果の法則

・ヒーラーの先生が「高い料金を請求することなく」ヒーリングを

行なっていたこと

 

を素晴らしいと思っていたし、

今でもそう思っている。

 

でも、その一方で見えなくなっていたことがある。

 

それは

 

・どんなヒーラーさんであれ、「魂の救済」はありえないこと

・自分の欠点はあって当然、変わりたいと思う気持ちは大切だけど

自分を責めたり嫌ったりする必要は全然ないこと

・「日常的な、物質的なこと」もすごく大事

・ヒーラーの先生が、「自分が唯一本物のヒーラーであること」

を強調するような言動を発するようになったことに対する違和感

 

 

だった。

 

どこか自分でも「おかしいな」と思いつつ、

なんらかの理由をつけて、それらのことを無視していた。

 

それは、「完全な自己嫌悪やら自信喪失やら」の心理からくる

もので、

 

「ヒーリングができる人」に対する尊敬の気持ちをベースにした

「わたしが理解できてないだけで、ヒーラーの先生はもっと高い意識レベル

なはずだから、おかしいな、と思う自分がおかしいんだよな、きっと」

 

という思考だった。

 

新しい価値観での日々は、苦しいながらも「気づき」や「学び」が多く、

わたしはそれを求めていた。

 

ヒーリングの効果を目の当たりにして、感動することも多々あった。

 

だから、その中で「これはおかしい」と思うヒーラーの先生の言動も

否定する勇気がなかった。

 

それは「批判」だから、それをすることで

この学びの場にいられなくなってしまう。

(その時点でおかしいんだけれども。。。)

 

「自分を変えるための、学びの場はココだ!」と思うわたしにとって

ヒーリングを受けたり、講義を聞けるこの環境は手放せなかった。

 

それと同時に、

「意識レベルが上がれば、きっと状況や環境が変わり、いまの苦しい

状態からは抜け出せる、これはあくまでも一時的なものだから」

とも思っていた。

 

 

 

結局それは5年以上続いた。