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やさしい手

こんにちは、ミナです。

今日は週に数回お手伝いしている動物病院で仕事の日でした。

ここで働かせてもらうようになってから約1年半、

わたしは数々の「助かるいのち」や「助からないいのち」を見せてもらいました。

そして今日も、病院に1匹の「必死に生きる」ワンちゃんがいました。

歳をとったそのワンちゃんは、高齢の飼い主さんが看病することができないため
ご家族に連れられて、数日前から病院に入院していました。

先生からは「もう治療の手立てはないこと」や「このままいつ亡くなっても
おかしくない状態であること」などを説明され、それでも「看病できないから。
(亡くなったら)仕方ないです」ということでお預かりした子でした。

水を飲む力もなくなったその子は、少し苦しそうに呼吸しながらケージの中で
横になっていました。

見守るしかできない状態。

「もう頑張らなくてもいいからね。いつでも逝っていいよ。」

と心の中で声をかけながら、わたしはこんなことを考えていました。

「あー、飼い主さんの手の温もりをこの子に感じさせてあげたい。。。」と。

大好きな飼い主さんに撫でてもらい、安心して、幸せな気分で最後の数日間を
過ごさせてあげたいと、そんな風に思っていました。

「この子が可哀想だな。飼い主さんのそばにいられないなんて。」と。

でも、そのときにふと、あることを思い出しました。

 

−14年前の出来事です

そのときわたしはレーシック(視力回復)手術を受けるために

診察台の上に寝ていました。

簡単な30分程度の手術でしたが、わたしにとっては初めての手術体験、

とても緊張していました。

両目に麻酔の点眼をされると視界が真っ暗になり、何も見えなくなりました。

怖かったけど、何も言えず、体をこわばらせていたような気がします。

 

そのときに、ふわっと誰かがわたしの手を包んでくれました。

 

たぶんそこにいた女性スタッフの方だったのでしょう。

知らず知らずの間にガチガチになっていた身体からフーッと力が抜けました。

そのときに感じた「安心感。ほっとした気持ち。」は今でも鮮明に思い出すことができます。

どなただったのかもわからず、お礼も言えなかったのですが

わたしはあの温かい手をずっと覚えていて。

 

あのときの「やさしい手」はわたしの知らない人だったなと。

そんなことを思い出しました。

 

 

 

そして、ふと、目の前にいるワンちゃんを見ました。

この子に必要なのは、

「飼い主さんの手」じゃなくて

「誰かのやさしい手」なんだと気づきました。

 

「この子を安心してあげられるのは、飼い主さんだ」という

わたしの思い込みは、「可哀想な世界」を作り出していたのです。

わたしたちは、それぞれ自分の世界を創ることができます。

目の前のワンちゃんを「動物病院のスタッフに愛される、幸せな子」
として、「愛が溢れる世界」を創ることが可能なのです。

 

「可哀想な世界」を書き換えるために、

わたしは目の前のワンちゃんに「大好きだよー!愛してるよー!」と

メッセージを送りながら、そっと手を添えて体を撫でました。

ワンちゃんは、なんとか焦点を合わそうと目をくるくると動かして

こちらを見ようとしてくれました。

メッセージがしっかり伝わっていたことがわかりました。

誰かの「やさしい手」はわたしに「無条件の愛」を教えてくれてました。

14年かかったけれど、それに気づくことができて本当によかったと思いました。

14年前の誰かさんに感謝の気持ちが溢れます。

 

「やさしい手」をありがとうございました。