ベルギーの気温21℃
秋の洋服は持ってきてないので、街を歩くと、超暑がりな人みたいになってます。
本当は寒いの苦手です。こんにちは。ミナです。
今日は先日までキャンプしていたクロアチアで、PULA(プーラ)円形闘技場に行ったときの
話です。クロアチアがもうすでに懐かしい。。。
もくじ
プーラ円形闘技場とは?
プーラ円形闘技場(クロアチア語: Amfiteatar u Puli,英語: Amphitheatre of Pula)またはプーラ・アレナ(Pulska Arena,Pula Arena)は、クロアチア北西部のイストリア半島先端のプーラにある古代ローマ時代に造られた円形闘技場。
古代ローマ時代には剣闘士の戦いや剣闘士と猛獣の闘いなどの見世物が、中世には騎士の模擬戦争が行われた。現在はコンサートや映画祭等の会場として用いるため、陸側の下層階客席などが復元されている。また剣闘士の闘いのショーが行われることもある。
-ウィキペディアより参照-
これが、古代ローマ帝国時代に作られたと考えるだけで、もう。。。凄いの一言。
ということで、この「剣闘士の闘いのショー」を観ることにしました。
プーラ円形闘技場への入場料
円形闘技場(皆さんアリーナと呼んでました)の中に入るのには、入場料がかかります。
大人1人 50クーナ(約850円)
アリーナに入るための、改札みたいなものがあって、その手前にチケットブースがあります。
現金、クレジットカード両方OKでした。
そして、夜8時半から行われる「剣闘士の闘いのショー」の観戦チケットも別で購入。
こちらは大人1人 80クーナ(約1,360円)
手持ちの現金が少なかったので、「入場料は現金で払って、ショーのチケットはカードで払い
たい」と伝えると、サクッとやってもらえました。
剣闘士→グラデュエーターのショーとは?
こちらがショーのチラシ。
夜8時にアリーナの門が開き(昼間入る入口とは別の門から入ります)
あっという間に観客で埋め尽くされます。
この座るところ、もちろん石なので、ゴツゴツです。
ここで、古代ローマ時代に行われていたという、「市民の娯楽のための」グラデュエーターたち
の死闘を再現する、らしいのです。
ショーが始まる前に、前説
と、始めに、古代ローマ人の格好をしたテンション高い人が登場。
前説が始まりました。
当時は捕虜や奴隷で、能力のある者を訓練して、グラデュエーターとして育てたらしく、着けて
いる装備は20キロくらいのものもあって、立って動くだけでも大変なことなど、を説明して
くれました。
そして今夜行われるショーでは、グラデュエーターたちが、当時と同じように「本気で」闘う
こと。だから観客の皆さんも、当時の市民のように歓声をあげたり、大きな声でこの戦いを
盛り上げてください。全ての闘いはすべて、「皆さんの娯楽のために」やるのです!
みたいなことを繰り返す。
一生懸命、ちょっとコミカルな感じで、会場を盛り上げようと頑張ってました。
グラデュエーターたち入場
それぞれの武器を持った、剣闘士→グラデュエーターたちが入場してきます。
それぞれの名前なども紹介されます。
この人たちが、これから「本気で」闘うことになります。
闘いが始まる前に
その前に、古代ローマ時代には人間と猛獣を闘わせていたことも紹介されます。
ライオンのぬいぐるみ(頭だけ)を被った人が出てきて、それをグラデュエーターが倒すわけ
ですが、ここでも前説のテンション高い人が、「動物を殺すのは良くないこと!」ということ
で、ライオンのぬいぐるみを殺した後に「おぉーっ、大丈夫かい?良いライオンだからね。本当
は殺してないからね。」なんて言いながら、ぬいぐるみのライオン役を助け起こしてあげたりし
てフォローしてました。
グラデュエーターの闘い
闘う2人のグラデュエーターが入場し、名前が紹介されます。
観客はどちらかお気に入りの人の名前を叫んで応援するようにとのこと。
審判みたいな人が間に入って、闘いがスタート。前説の人が観客を煽って、大声を出すように
盛り上げていきます。剣がぶつかる鈍い音が会場に響いて、グラデュエーターたちが砂の上を
動く音とか、地味だけど、真剣に闘っている感じが伝わってきます。
ちなみに、実際のグラディエーターはこんな感じだったみたい↓
勝負がつく
着けている装具や持っている武器が重いので、しばらく闘っていると、動きが少しずつ鈍くなっ
ていき、両方ともだんだん動けなくなってきます。そして、どちらかが倒され、首の辺りに剣を
突き刺さす仕草をして、勝負がつきます。
ここから、また説明があり、古代ローマ時代は、「負けたグラデュエーターが本当に死んでいる
かを確認する」ために大きい鈍器を持った人が現れて、確認をし、死んでなければ頭をかち割
る、とのこと。(かわりにスイカを人の頭に見立ててかち割ってました)
また、それとは別に、負けたグラディエーターが死ななかった場合、その命を皇帝の判断に委ね
る、というやり方もあり、その時は、観ていた観客に「死に値する無様な闘いだったか?」を
問いかけます。観客の反応を考慮した上で、皇帝が親指を上にあげるか(生かす)、下に下げる
か(殺す)のジェスチャーで最終判断を下すのです。
・当時グラデュエーターを育てるためには、相当な訓練が必要だったこと
・訓練には長い年月がかかり、それにはお金もかかっていたこと
・グラデュエーターが死んでしまうと、また次のグラデュエーターを育てるのに時間と費用がか
かること
などの理由から、殺すことは少なかったとのこと。
と、こんな風に、途中で説明が入りながら、観客たちが叫び声をあげてグラデュエーターを応援
し、勝ち負けの判断のときは、「生かす?」か「殺す?」かを声高に叫んでました。
感想
どんなに工夫しても、どんなに「ショーを楽しんでもらおう」とコミカルなトークで盛り上げ
ようとしても、そこに基盤としてあるのは、
「人間が殺しあう姿」を「娯楽として楽しむ人間の姿」という、残酷な事実。
それが、数千年前にここで実際に行われていたわけで。
それを今、ショーとして再現しているんだけど、見世物のショーとは言えども、この残酷な事実
を理解している大人たちが、それでも笑いながらそれを鑑賞しているのを見てたら、
「人間ってのは残酷だよな(自分も含めて)」
というのが率直な感想でした。
もちろん全然楽しめませんでした。。。。
しんどかったです。
でも、「これが目の前の現実なんだよな」と思って、じーっと観てました。
数千年前に、こんな素晴らしいものを建てる技術があったとこに「凄い!」と思ったけど、それ
が「こんなことのため」だったとは。。。。
と、つくづく「何事も動機ってのが一番大事だなー」と感じました。
グラデュエーターになるのは、ほとんどが、捕虜とか、奴隷とか罪人だったとのこと。
「人を喜ばすために、命をかけて闘う」という人生。。。。
遠い夜空に時々光る、稲妻を眺めながら、何かを想う夜でした。