4月14日(土)
午前中は、明日のイベント、ワイン&チョコレートイベントの準備で
会場設営のお手伝い。
お昼を過ぎた頃、
昨日誘ってもらったトークディスカッションに参加すべく、
ナンシーと一緒に、ティラモックパイオニア美術館へ行った。
美術館に到着。
中に入ると、昨日お会いしたギャリーさん、本日のスピーカー、
Oregon Humanitiesという全米人文科学基金の非営利加盟組織で
Conversation Project Leader(オレゴンの人々に、ディスカッション
を通して、いろんなテーマで会話をする場を提供するプロジェクト
を行っているグループのリーダー)のサイモンさんとジェニファーさん
がいらした。
今日のこのイベントのテーマ
Just a Number: Aging and Inter-generational Friendships
((年齢なんて)ただの数字:歳をとることと世代間の友情)
15人程の10代から70代くらいまで、幅広い年代の人々が集まった。
最初にジェニファーさんが「わたしの友達」というポエムを朗読してくれた。
80代の女性。カフェで仲良くなって、世間話や本の話、コーヒーを
片手におしゃべりする友達。
ペットの犬。そばに寄り添ってくれる友達。
など、50代の彼女が世代を超えて大事にしている友達のことを詠んだポエム。
それからディスカッションがスタートした。
ディスカッションは2つのテーマにわかれていて、まずは3−4名の小さい
グループで話をして、その後そのことについて全員で話をするという流れ。
1つ目のテーマは
「自分のこれまでの人生で、一番好きな年齢(もしくは期間)を選んで
なぜそのときの自分が好きなのか?理由を話す。一つ条件があって、
自分が選んだその年齢は明かさないこと。」
わたしはナンシーと、もう一人20代女性で図書館勤務のジェニファー、
3人のグループに参加させてもらった。
そこで話したことを全員でシェア。
ほとんどの人たちが、自分が選んだ「一番好きな年齢」について、
「多くの選択肢があった頃で、可能性に溢れていて、自由だったから」
と話していた。
興味深いと思ったのが、ティーンエイジャーの女の子。
私たち大人から見たら、それこそ「これからなんでもできる!」年代。
その子が選んだ「一番好きな年齢」は7歳くらい。
理由は?
「わたしがわたしでいられたから」
学校に入る前は、毎日好きなことをしていられた。それがすごく楽しかった、と。
ティーンエイジャーの可愛い女の子が発した言葉に、胸がグッと詰まった。
2つ目のテーマは
「自分が体験した、世代間を超えた友情について。世代を超えた友情だからこその
良さや難しさがあればそれも話してください」
とのこと。
わたしはこのとき、「そう言えば、ナンシーの年齢知らないなぁ」と思って
「世代を超えてって言えば、私ナンシーの歳とか気にしたことなかったんだけど
何歳なの?」と初めてナンシーの歳を教えてもらった。
ナンシーも「私も気にしたことなかったわ」と笑う。
人生の半分以上を高校教師として費やしたナンシーには、たくさんの
教師仲間がいて、それこそ世代がバラバラで、その中でも一番の友達は
10歳以上も歳が若かったけど、年齢のことは全く問題にならなかった
と話してくれた。
そして、20代のジェニファーも自分の体験を話してくれた。
彼女はティーンエイジャーの時に交通事故にあい、それ以前の記憶を無くして
しまったとのこと。数年かけて、少しずつ思い出したこともあるんだけど、今でも
ほとんどの記憶は蘇っていない。
だけど、その中で、子供の頃、彼女が好きだった近所の女性(年配の方)、
その年配のお友達と一緒にいると心が休まって、楽しかったこと、それだけは
覚えていて、忘れなかった、と。
残念ながらもう連絡はとっていないそうだが、その友達がジェニファーにとって
とても大事だったことは、彼女の心が覚えていたわけで。
素敵な話だった。
私の番になったので、私が介護ヘルパーとして初めてお世話した90代の女性の
ことを話した。彼女とはヘルパーと利用者さんというよりも、友情で結ばれていた
ように感じる。仕事で行ってるんだけど、一緒にいるのが楽しくて、たくさん話をした。
それから「世代を超えた友情だからこそ、としての難しさ」として、
当時の自分は、
「高齢で一人暮らし、歩行器を使って歩き、1日のほとんどをベッド上で
過ごす彼女の笑顔が、そのときの自分には100%本当の笑顔に感じられず、
そこにあったのは、彼女に対する同情心だった」
と苦しかったこと。
でも今は
「体の自由が本当の自由ではなくて、あのときの彼女が本当の心の
自由を知っていて、100%楽しんでいたこと」
を理解できて嬉しい、ということを話した。
↓自由についての私の想いを書いた投稿はこちら↓
すると、話を聞いていたナンシーが涙を浮かべ、
「体の自由がだんだん効かなくなっていることを実感している年齢の
私にとって、今の話は心に響く。。。いい話だと思う」と言ってくれた。
そして、全員でのディスカッションのときに
「さっきの話を皆さんの前でもしてくれる?」と言ってくれた。
「(英語がアレなので。。。)ナンシー代わりに話して〜。」
と言ったら、
「なかなか上手に喋れてたわよ、自分でできるから大丈夫。」
と背中を押してくれた。
一生懸命話したら、会場の皆さんも、熱心に聞いてくれた。
それから、年配の男性が「自分が自分らしくいられる友達」の大切さ、
とか、そこから見える、「私たちがいかに人と比べる人生を送っているのか?
特に、同世代の友達に競争心を持つこと」について話してくれた。
多くの人たちが、「自分らしく」生きることを求めつつ、それをすることで
社会的な、もしくは家族内での自分の役割を果たす責任を放棄するのでは?
という不安を持っているんだと思う。
だから、自分の想いに向き合うことができないのかもしれない。
カウンセリングとか、心理を学ぶとかいうのではなく、カジュアルに
こうやって、興味ある人たちがただ集まって話ができる機会があって、
そのディスカッションには、最終的な「答え」みたいなものももちろん
なくて、こういうのっていいなぁと思った。
人種や世代を超えて、いろんな人の話を聞くことができて、自分の想いも
話すことができて、とても楽しい時間だった。